ファンタジックmemory

2005-10-21

*それはいつも明日*(2005.10.20)

*それはいつも明日*(2005.10.20)


この時期に、しなくてもいい靖国参拝をわざわざ行うコイズミさん。
アジア各国はもちろん、アメリカはニューヨークタイムスまでが、

「ばかげた挑発行為」

とおおあきれ。
(;^_^ A
ところが日本のマスコミに言わせれば、このような挑発行為も

「コイズミ改革☆あっぱれロック魂」

ということになってしまう。
報道の受け取り手の我々にとって、コイズミさんが何をしたかは問題ではない。
コイズミさんがしたことで、国民が幻想としての希望なり安心を共有することが大切なのだ。
テレビを観る観衆は、同じ時刻に、全く同じ内容の放送を、何百万人の人々とともに共有する。
今の日本のマスメディアは、コイズミさんがやることなすことすべてを肯定的に報道するので、当然、あらゆることが肯定的な意味しか持ちえない。
それでいいのだ。
テレビ報道を観た多くの国民は、
「わーい。恐れを知らぬ改革魂〜! ロックんロール!!」
と大喜びしていればいい。
日本という国が、現在、国際的にすっかり孤立してしまっている現実も、私たちにはどうでもいいことだ。
「改革」という言葉の持つ肯定的なイメージを、テレビによって皆と共有できていればいい。
それは、「明るい明日」だ。
もちろん、彼の「改革」に明日などありはしない。
明日などなくても、なんら問題ない。
決してこない明日だからこそ、ひとびとはいつまでも未来を信じることができるのだから。
実現しない希望だから、日本経済や福祉システムがずったずったに破壊された現実を前にしても、私たちは失望することすらできない。
それどころか破壊され、機能不全に陥れば陥るほど、「明るい明日」、「改革」を我々は支持する。
「明日にはきっと、彼が良くしてくれる」

「改革」という言葉は永遠に機能し続ける。

ベケットの
『ゴドーを待ちながら』
という前衛劇さながらに。
もちろん、私が日記でこんなことを書いたからといって、何が変わるわけでもないだろう。
テレビにはかなわないよ、とほほ。
テレビは、一瞬にして国民をひとつにすることができる。
「ねえ、昨日のあのアニメ見た〜?」
「見た見た。すごかったね〜」
「え〜、私見なかった〜。どうなった、どうなった?」
「え〜、おもしろくなかったよ〜」
「なんで、最高だったじゃん」
あの日あの時刻のテレビ番組を、みなと共有していたのだという確かさ、安心感、そして“正しさ”。
テレビが笛吹いて、私たちをどこへでも連れていく。

  (絵本工房) 純日記より
00:59:22 - mizoereiko - No comments TrackBacks

2005-10-18

*ロック・スター*(2005.10.18)

*ロック・スター*(2005.10.18)

雑誌『AERA』
の記事、みなさん読んだ?
まあ、なんというか……。

「大観衆を酔わせた小泉劇場のクライマックス。(略)
(コイズミさんは)毛沢東かミック=ジャガーか、はたまた(高倉)健さんか--。」
「甦った政界最強の“ロック・スター”。」

「コイズミ純一郎の「文化大革命」」

「郵政完勝でサティスファクション」

……。
無理して読まんでいいよ。たまたま読んでしまった私は、おかげで、あたまヘンになりそう。
なになに?

「政界最強の“ロック・スター”。」

ぶはははは!
ロック魂って

「金をもらって何が悪い!」

といなおったり、

「軍備こそ最大の福祉」

などとのたまわったりすることだったのか! ねえ

忌野清志郎せんせい!

♪爆破された街で ネコがないてる〜♪
♪何やってんだ人類〜♪
♪どうしたんだ未来〜♪

フランク=ザッパは、かくかたりき。

「戦争はやめさせるべきだ。ありゃ貪欲な戦争だ。
すべての戦争がそうなんだろうけど。十字軍だって、おんなじだよ。
でも、あんなやり方じゃ、うまくいかない。戦争をやめさせることができるのは、大統領だけだ。
もし、自分の理想どおり、だれかにこの国を治めてもらいたいと思っているなら、そして、あんたが反戦運動家で、平和を実現したいと思うなら、実際に力となってくれる人物を、あそこに送り込め」

フランク=ザッパは、かくもかたりき。

「問題は、システムを粉砕することじゃなく、改良することだ。忍耐が肝心だよ。(略)
ちっともロマンチックじゃないし、バリケードの英雄もいない。だから、若者はそんなことにちっとも関心をもたない」

フランク=ザッパは、さらにかたりき。

「民主主義の誕生時に打ち立てられた諸原理は、今日、適用されていない。教育を受けた人々とともに、民主主義は機能する。
だから、俺たちに必要なものは、教育のありようを変えてくれる何かなのだ」

日本のマスメディアや教育の在りかたは、劇的に変わった、

ザッパの望んだ方向とは全く逆の方向で。

日本の内側で暮らす私たちにとっては、この世のすべてが娯楽であり、また、娯楽でなければならない。
コイズミ劇場は、あなたの気分を良くしてくれるか?
巨大メディアが勢力を上げて、娯楽作品としてのコイズミ劇場をつくりあげる。内容なんかありはしない、あなたはどこまでも受動的に、その場その場の気分を満たしていればそれでいい。
「郵政民営化とは、なんなのか」
も、
「ロックとは何なのか?」
も、いっさい考える必要はない。
あなたがたえず注意しなければならないのは、

あなた自身の気分だけだ。

気分というものは移ろうものだから、あなたは永遠に満たされることなく、新たな消費、最新の娯楽へと漂い流れ続ける。
私たちは、何のために生まれてきたのか?
日本の巨大資本主義システムはこう答える。

「勝つため、消費するため」

……。
若い子たちが、大人に向かって、
「産んでくれって頼んだわけじゃねえや!」
と言い放つ気持ちも良くわかる。
「勝つため、消費するため」に産まれてきたなんて言われて、未来に希望を持ったりできんわな。
子どもたちよ。
絶望するな。
大人たちは、本当のことを言っているわけではない。
つーか、なんにもわかちゃいない。
彼らは、狂った教育を受けたために、すっかり狂ってしまっているだけなのだ。
それはそれで、ずいぶんひどい話だが、これが実際のところ。
そもそも私ら大人は、自分たちがいったいなにをやっているのか、自分たちの行動が何を呼び起こすことになるのかさえ、なーんもわかっていない。
居眠り運転中のジャンボジェット・パイロットのようなもんだ。
という塩梅だから、今度のフライトも大惨事だろう。

  (絵本工房) 純日記より
18:47:57 - mizoereiko - No comments TrackBacks

2005-10-15

*顔*(2005.10.15)

*顔*(2005.10.15)

日刊スポーツのウエブサイトでこのような記事を見つけた。
http://www.nikkansports.com/ns/general/p-so-tp0-051014-0010.html

「自民党の新人議員らが13日、党のPR作戦に駆り出された。
 片山さつき氏(46)佐藤ゆかり氏(44)猪口邦子氏(53)のマドンナ3人は、日本外国特派員協会で外国人記者相手にオール英語のスピーチで小泉純一郎首相(63)を礼賛。
なかでも、外国暮らしの長い“ゆかりタン”の流ちょうな英語には、外国人記者も萌え〜。(以下略)」

……。
萌え〜だって。
自分自身を客観視することがまったくできなくなった国、もしくはマスメディアのありさまを、痛いほど実感できる記事だなあ。
外国人記者のみなさまは、おなかを抱えて笑い転げていることであろう。
いまの日本の大手マスメディアにとっては、

基本的に他者は存在しないも同然だ。

相手がどう感じたか、何を考えているか、そんなことは、はなからどうでもいい。
だから、「外国人記者も萌え〜」などという、内輪でしか通用しっこない勝手な解釈を放り投げで、それっきり。
自民党の新人議員らは、党のPRのため、外国人記者を相手に英語で首相を礼賛したかった。したかったから、そうした。“ゆかりタン”は流ちょうに英語を話した。
相手の外国人記者は? この記事によると、
「萌え〜」
だ。
そんな知性のカケラもない海外特派員では(普通の)新聞社は困るわけだが、日本ではこのような記事が、すでに常態化している。
そもそも「萌えた」かどうかなどは、自民党の新人議員らが海外に向けてPRしようとしたこと、そして、外国の記者のみなさんが知りたがったことと、

まったく、ぜんぜん、無関係だ。

無関係でかまわない。
むしろそのほうが都合がいい。
これは海外に向けたPRではなくて、実際は、

日本の内側に向けた、幻想としての政党PRなのだから。

海外のひとたちが何をどう感じたかなど、報道する予定もない。
日本の国内にむけて、
「外国人記者も萌え〜」
という、相手ではなくこちら側のイメージ言葉を放りだして、それを読んだ日本の国民が、少しでも好印象を持てば、記事の目的は果たされた。

いまの私たちは、メディアによって完璧にコントロールされている。

徹底的に利用されているという意味においては、この記事における外国人記者でさえ、メディアによってコントロールされた、ある種の幻想だ。
幻想だからこそ、実態とかけ離れた記者たちが、記事文面の中で、英語をはなす女性議員に対していっせいに「萌え」ることも可能だ。

ヨーロッパを中心とした海外のマスメディアは、あちこちで
「日本は発狂した」
と書き立ててる。
しかし、私たちには、海外マスコミのこうした主張が理解できない。どうして狂人呼ばわりするのだろう?と首をかしげるしかない。
私たちには、彼らの顔が見えないのだ。
他者を理解できない人間は、結局、自分自身を理解することもできない。
鏡がなければ、自分の顔つきを知ることができないように。
だから、私たちは、日本の外側の国々のひとびとの目に現在の私たちの生き方がどれほど奇妙で醜悪で支離滅裂なものとして映っているかを、まったく理解することができない。
「みっともない」とは、これは私の個人的な意見だ。

(絵本工房) 純日記より
22:46:27 - mizoereiko - No comments TrackBacks

2005-10-10

*『パッチギ!』でイムジン川をバッチぎれ*(2005.10.10)

*『パッチギ!』でイムジン川をバッチぎれ*(2005.10.10)


先日、奈良映画センターの職員のかたにアドバイスを求められた。
「○○高校の試験あとに、映画を上映する予定なんだけど、何かおすすめはありますか?」

*溝江純、奈良映画センターのアドバイザー・スタッフになる!*

という事実はまったくないのであるが……。
(;^_^ A
試験のあとだから、気持ちすっきり爽快、娯楽映画が良いとのこと。
う〜ん、高校生にお奨めの娯楽映画か。
そりゃあもう、井筒和幸監督の映画
『パッチギ!』
で決まりですな。
この映画を、高校生諸君にひとことでお奨めするとすれば、こうなる。

在日朝鮮の高校生と日本の高校生が、京都を舞台にケンカしてケンカしてまたケンカしつつおおくりする

ロミオとジュリエットだ!


いや、本当にそういう映画なんだよ。
(;^_^ A
みんな好きだろ? ロミオとジュリエット。
私の高校生時分は、毎日がロミオとジュリエットだった(←意味不明)。
この映画、在日朝鮮人たちを描いていることから、反日映画だとかなんだとか一部の映画評論家がさかんに文句をたれていたので、これはもしかして面白いんじゃないかと最初からにらんでいたのだが、

想像していたそれより100倍おもしろかった。

これほどの日本映画を観たのは、
『東京物語』
以来かもしれん(また古いなあ)。
マスメディアがけなす映画って、どうしてこうも面白いんだろう。
つーかね、落語と娯楽映画は、社会的弱者にスポットライトを当ててなんぼ。
基本でしょうが、基本。
まあ、いいや。
でも、高校ではこの『パッチギ!』、上映できないんだって。
ケンカのシーンがあるから。
ええ〜。
ガンダムなんか、主人公がものすごい数の人間を殺しているシーンの連続なのに、子どもたち平気で観てるよ?
犯罪もある一定以上の規模になると、それを実行する者は、

犯罪者から英雄に切り替わるんだよな。

まあ、しかたがない。
この『パッチギ!』は、絶えず、「乗り越えろ」と叫んでいる。
韓国と朝鮮人民共和国を分断しているイムジン川を。
日本人と在日朝鮮人を分断している鴨川を。
モンタギュー家とキュピレット家の対立を。
でも、どうしたら乗り越えられるんだろう? そこが問題だ。
映画の中で、毛沢東主義にかぶれた高校教師が出てきて(これがいい味だしてるんだよ)。
「戦争をなくすために、戦争するんだよ!」
なんて、生徒たちに吹き込んでる。それを聞いていた生徒が、ぼそっとつぶやく。

「なんだ結局、戦争じゃん」

……ナイス、つっこみ。
d(-_-)
本当はね、“戦争で戦争を止める”ことはできないし、もちろんテロも撲滅できないし、ケンカでケンカを終わらすことはできない。
本当に解決したければ、めんどうでも、相手のことを理解するしかないんだと思うよ。相手がどうしてそんなに怒っているのか、悲しんでいるのか、ケンカをふっかけてくるのか。良い悪いはまた別として、やはりそこには、何かしらの事情というものがあるはずなんだ。
しかし、相手の話に耳を傾けるのは、実に難しい。
とくに、反目しあっていたり、馬鹿にしている相手に対しては。
だから、映画の中で朝鮮学校の子どもたちと日本の子どもたちは、ケンカしてケンカして、ずっとケンカしている。
メソメソなんてしない。彼らなりに何かをブチ破ろうとして、突き抜けようとして、彼らはケンカし続ける(不毛といえば不毛だけど)。
そんなあるとき、日本の男の子が在日朝鮮人の女の子に恋をする。
男の子は心底、女の子が好きだから、もっと相手のことが知りたくなる。理解したくなる。
鴨川を泳いで渡って、でも乗り越えられない壁がある。

「こうちゃん、朝鮮人になれる?」

そう女の子に問われて、男の子は返答できない。
反目しあう国家と、過去の歴史という巨大な壁を前に、男の子はあまりに無力だ。なにもできない。一歩も進めない。橋の上で慟哭する男の子。
しかし、変わっていくものも確実にある。
ケンカすることしか知らなかった朝鮮学校の男の子たちも、別の方法があることに気づき始める。でもケンカするけどね。
(;^_^ A
日本にも、話のわかるやつはいる。俺らと友だちになれるやつがいる。
話してみりゃあ、朝鮮も日本もそんなに変わんないのよ。悪いやつもいれば、気の良いやつもいる。
白い猫も黒い猫も、毛の長い猫も短い猫も、人間から見たらほとんど変わらんでしょ?
日本の男の子と、朝鮮の女の子が恋をして、少しずつ、一歩ずつ、乗り越えていければ。
そんなふうにして、いつの日が、ケンカのない日がくれば。
映画のラストで、男の子と女の子がドライブしようとする。でも、ほとんど走らないままに、車はエンコしてしまう。
それは、ふたりの前に立ちふさがる障害の多さ、深さ、乗り越えがたさを暗示している。
でも、ふたりは笑顔だ。
もしも、ふたりのあいだに赤ちゃんが産まれたら、その子は、朝鮮人民共和国人なのか、日本人なのか?
誰でもないよ、

その子自身だ。

映画の中で、登場人物が痛快娯楽的にこう宣言する。
「京都で南北統一じゃあ!」
南北と言わず、東も西も、上も下もみんな統一じゃあ。
世界はひとつの地球村じゃあ。
高校生諸君。
ぜひ、観んしゃい。
   (絵本工房) 純日記より
00:59:54 - mizoereiko - 2 comments TrackBacks

2005-10-08

*水底都市*(2005.10.8)

   *水底都市*(2005.10.8)


ドイツでも与党が「お金持ち優遇大改革案」をぶち上げていたようですが、こちらさまは日本と違い選挙で惨敗。
「お金持ちをさらにお金持ちにするために、毎日働いとんのと違うわ!」
ということだそうです。
日本は、「コイズミ・チェリー隊」だの、新人議員が「初ヤジ」をとばしたのという話題がテレビを賑わしているという……。
幸せといえば、実に幸せだ。
コイズミさん大改革で、庶民の1年間の増税額はあわせて

3兆5000億円

でございます。
まあ、最近は庶民という言葉を使わずに、負け組、と呼びなわらすそうですが。
「庶民」という言葉を「負け組」に変えただけで、もはやよそごと、他人の話。だって、負けた覚えないもん。したがって、今日もみんな幸せ。
大丈夫、そのぶん、大企業の減税は大いにさせていただきますということで、合計

2兆2000億円。

勝ち組のみなさんは、読んで字のごとし、勝ったのでありますから、当然、2兆円ほどの見返りがあってもいいだろうと。
そんなこんなで、日本中が幸せを満喫しているいっぽう、地球温暖化で、北極の氷がどんどん融けておるそうです。
「今世紀末を迎えるよりもずいぶん早い段階で、

北極の氷はなくなっちゃうだろう」

とは、NASAの発表。
理科の実験、氷が溶けたらどうなるでしょう?
答え。水になります。
陸地という陸地が水浸し。
風が吹くと桶屋が儲かるけど、

北極が常夏のハワイになると、日本は水没すんの。

だわわ。

『ヨコハマ買い出し紀行』
の世界ですな。
でも、あんなふうに、ゆるやかで平和な終焉を迎えるというわけにはいかんのだろうね。
どん詰まり状態の人類が、成長も成功も勝利も手放したときにおとずれる、平穏な日々。それが『ヨコハマ買い出し紀行』の世界だけれど、現実のわしらは、終末がそこまで来ているのに、ぜーんぜん自覚ないもん。
たぶん、
『風の谷のナウシカ』
までもいかんだろうな。
このままじゃあ、きっと、
『デビルマン』
的、阿鼻叫喚地獄絵図といったあんばいで、わしらは見苦しく右往左往するのでありましょう。
暗いなあ、真っ暗だぜ。
『ドラえもんの「育て力」』
と言うタイトルの本が、本屋さんに置いてありましてね、この本の宣伝文句が何とも言えず、真っ暗なんだよ。

「ドラえもんは、なぜ「負け組」ののび太を「勝ち組」にできたのか? それは彼の卓越した「育て力」によるものだった!」

……。
砂漠化したり、水没したりしようといているこの地球上で、勝ったの負けたの。
18世紀じゃあるまいし。
育て力で勝ち組になって、だからどーした。
こりゃあ、『デビルマン』というよりも、
『カムイ伝』
かなあ。
正直、みなさんにお伺いしたいんだけど、本当に自分の子どもに勝ち組になって欲しいと思うの?

♪犯罪者になれ〜 いつも不幸でいろ できる範囲で、かまわないから〜♪

勝ち組の育て力って、ぶっちゃけ、こういうことでしょ?
子どもの一生、めちゃくちゃじゃん。
え、ちがう?
違わないって。

♪おまえに言っておきたいことがある お金で買えない話もあるが、俺の本音は、世界一の消費者♪
♪俺より先に 幸せになるな♪
♪俺より別の 価値感で生きてもいけない〜♪
私が幸せだと信じていられるように、ミンナみじめでいろ♪
♪忘れて〜くれるな♪
♪私が愛するのは、お金〜 おまえたちはそれをあがめていろ〜(ここ重要)♪
♪ラーラ ラーラ ラ〜ララ〜ラララ、ラーラ ラララララ……♪

いや〜、宇宙ひろしと言えども、こうも狂った生物は、地球人類だけだと思うのよ。
いっぺんためにしにでも、
「成長も成功も勝利もいらないから、みんな、仲良く暮らそう」
と、そういうふうに生きてみようと思わんのかなあ。
勝ち組だ、成長だ、成功だ!つったって、もう地球が悲鳴あげてるんだよな。
癌細胞たちが、我先に健康細胞をくいつぶして勝利を叫んでも、もうすぐ臨終ですよ、地球。
生命って、ものごっつ、不思議な現象だし、わしらが知っている範囲では、生命はこの地球上にしか存在しないのだから、仲良く、優しく、暮らしてみてもよいのではないでしょうか?

   (絵本工房) 純日記より
01:19:35 - mizoereiko - No comments TrackBacks