ファンタジックmemory

2005-07-21

クイズの時間です *6933*

*6933*(2005.7.19)


クイズの時間です。

***********************
殺  人・ 638
強  盗・ 441
放  火・ 36
性的暴行・ 172
粗暴犯 ・1341
窃盗犯 ・3505
知能犯 ・ 200
風俗犯 ・ 124
その他 ・1080

合計  ・6933
***********************

さてなんでしょう?
答え。

1973年〜2004年までの4年間のあいだに、
日本の警察に検挙されたアメリカ兵の数と、そのうちわけ

でございます。
皆さんご存知のとおり、日本ではどういうわけか、ある国の軍隊の軍事基地があちこちに出張・出店されることが許されております。
米軍の軍事基地でございます。
沖縄は米軍基地で大混雑してしまい、一部、海に落っこちるんじゃないかというありさまであります。
ああ、こぼれおちんばかりに基地を造っていただいて、ありがたいことでございます。米軍の圧倒的な軍事力で、日本の平和が守られるのでありましょう。
アメリカ合衆国に、栄えあれ。
デロデロデロデロ(太鼓の音)
パンパカパーン(トランペット)

6933!

同盟国・日本の平和を守るため、
殺人638〜
アジアの端まで長期出張、
強盗441〜
むしゃくしゃすること多いから
放火36〜
むらむらすることも多いです〜
性的暴行172〜
うちら海兵隊なもので
粗暴犯1341〜
その他み〜んなあわせて6933〜
ラララ、ワワワの6933〜
ヨーイヨイと。
ちなみに、1973年以前のことは、警視庁は

数えていないのでわかりません

とのこと。
♪ハ〜ァ、どらり、どらりの〜……。
日本の政府は、アメリカの兵隊さんの生活が少しでも快適なものになるようにと、メンタマ飛び出るようなお金をつぎ込んで、いたれりつくせりしているのでありますが、それでも彼らの心は、満たされておらぬようす。
まだまだ不満な点があるのでしょうか?
店員ぶん殴ってCDかっぱらったり、女学生を連れ去って暴行したりせずとも、

私どもの血税から捻出いたしました思いやり予算でCD買い放題、そちらのほうの欲望もヤリまく……もとい、昇華しほうだい、

であると思われますに。何がお気に召さないのでありましょう?
食べ物でありましょうか? 日本の肉を食べてください、食い放題でございます。え、違う?
では、むしむしした気候でありましょうか? 冷暖房完備、24時間体制でメンテナンスも無料で実施させていただきます。これまた違う?
それとも、

軍隊生活そのものが ガマンならないのでありましょうか?

……う〜む、こればっかりは、お金では解決つきませんなあ。はけ口は、そのあたりを歩いていて、たまたますれ違った、不幸なアジア人ということで。
チャイナ? コリア? ああジャップね〜、ボコ!
(^_^;)
もとCIAの幹部のひとが、日本のあちこちに米軍基地が乱立している状況を指して、

「これは新しいタイプの植民地政策だ」

なんてことを言っておりました。続いて、このような政策を押し進める某小泉さんのこともケチョンケチョンにけなしておりましたが、もとCIAの御仁にまで、こうまでけなされる某小泉さんって、いったい……。
ううう、立場ない。
(T△T)
CIAのみなさまにもせいぜい喜んでいただこうと、毎年、膨大な財政赤字を出しながらも、米軍思いやり予算を組んでまいりましたのに、ねえ。
まあ、何を言われても、がまんがまん。
米軍に、保護していただいている立場ですからね。
……。
米軍よりも、ワシの生活を思いやって欲しいよ。
いちおう日本国民っすから。
(^_^;)
クイズの時間は終わり。
話は変わって、イギリスには国際問題などを研究するチャタム=ハウスという機関があるそうだ。
そのチャタム=ハウスが、テロと英国の治安体制などを検証した論文を発表した。
その内容を要約すると、

「アメリカ政府のいいなりになっていたことが、英国に対するテロ攻撃の危険性をたかめてしまったの」

ということになるのだそうだ。
まあ、なんだ。
自国の土地を米軍の基地だらけにして、アルカイダだの北朝鮮だのの攻撃におびえる某極東国と、事情は同じなのよ、イギリスも。
論文は、こう伝えております。

「英国政府が米国と肩を組んでテロ対策をとってきたことが主要な問題となってきた。英国は、政策意思決定の対等なパートナーではなく、米国にハンドルを握られている助手席の乗客であった。」

えろう辛辣じゃのう。

「(英国は)米国にハンドルを握られている助手席の乗客であった。」

英国紳士は、どんなときでも皮肉を忘れませんよ。

       (絵本工房)溝江純の日記より

 
10:32:37 - mizoereiko - No comments TrackBacks

2005-07-17

☆ ベアテ・シロタ・ゴードンさん

☆ ベアテ・シロタ・ゴードンさん

3年ほど前に、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの『1945年のクリスマス』を薦められて読みました。
そうか、私たちの「日本国憲法」が、こうして生み出されたのかというのが伝わってきて、感動しました。
「日本国憲法」の大切さは思っていましたけど、これを読んで、とっても身近に思うようになりました。
ヨーロッパの憲法を読み込み、その中から素晴らしい条項を取り出していったことが分かります。まさに、寝るまも惜しんで頑張ったのです。
『1945年のクリスマス』ベアテ・シロタ・ゴードン著、柏書房をぜひとも読んでみて下さい。

女性が幸せにならなければ、と頑張ってくれたベアテさん。男女は戦前は平等ではありませんでした。
すべての国民は平等というのは第14条。婚姻における男女の平等は第24条。
ベアテさんの心は、素敵な条文として、「日本国憲法」の中に生きています。
23:56:05 - mizoereiko - No comments TrackBacks

2005-07-09

「映画 日本国憲法」を観てきました

「映画 日本国憲法」を観てきました。

日本国憲法がどんなに大切か、「第9条」が、日本国だけの問題ではないということが良く分った映画でしたね。

「20世紀、2億もの人々の命を奪ったのは国家!」
20世紀は、すごい戦争があった世紀なのですね。
「戦争は、もう、こりごりだ!」そういう思いの日本の民衆の強い支持があったので、この「日本国憲法」は、日本に根付いていったと思います。
憲法が出来て5年後には、はや「第9条」を変えることを、アメリカのニクソンが求め、政府も変えようと試みても続いてきたのは、日本国民の憲法を大切に思う意識があったからだと思います。

これは、皆さま、ぜひDVDを購入して観て下さい。日本国憲法を誇りに思い、世界からみた日本の位置付けということも認識できる貴重な映画だと思います。
家族中で観ても良いし、お友だちを誘って観ても良いと思います。
自分の国の憲法を、とっても誇らしく思い、大切に思い、日本の国の行く末を思うことでしょう!

ジャン・ユンカーマンさん、素晴らしい映画をありがとう!
18:31:12 - mizoereiko - 8 comments TrackBacks

2005-07-08

*ロンドン、ロンドン、東京、ファシズム*(2005.7.8)

*ロンドン、ロンドン、東京、ファシズム*(2005.7.8)


ロンドンの地下鉄やバスで同時テロ。

多くの死傷者が出ているとのことだ。
犯行グループの特定は、まだはっきりとしたことはわからないものの、アルカイダだという情報が流れている。

だから言ったろう!こういうことになるって!

ちくしょう。
私たちが、テロリストそっちのけでイラクの石油をあさっている間に、新たな悲劇が起きた。
「オサマ=ビン=ラディンはどこへ行っちゃったんでしょう?」
と新聞記者に問われて、アメリカ合衆国最高司令官ブッシュ大統領は、こう答えた。

「ああ、あれはもういいんだ」

いいことあるかあ!!

アルカイダは、戦争屋だ。テロをビジネスにしている。
イスラム原理主義も中東の文化も、実は彼らには関係がない。彼らはテロで膨大な利益を得ているビジネスマンなのだ。
今度のテロで、交通機関を中心とした欧州の株式市場は軒並み暴落するだろう。延べ棒でおなじみの金や、プラチナなどの株価は上昇するだろう。いっぽう、テロが起きる直前に、鉄道株を売り払い、金やプラチナ株を買いあさるグループがいる。
それは、誰か。
それは、テロが実行されるXデイを知っている者たちだ。犯罪グループ、そのひとたちだ。
オリンピック誘致で沸き立ち、その影響で株価が上昇したタイミングを見計らい、事件を起こす。一瞬にして彼らは、とてつもない額の富を手に入れたに違いない。
イスラム教原理主義も中東の文化も犯行グループとは関係がないと先ほど述べたが、テロの実行犯は確かにイスラム教徒だ。中東の解放を主張しているかもしれない。アルカイダは、抑圧され弾圧されつづけてきた中東のひとびとの慟哭、怒り、イスラム教徒の誇りを、うまく利用している。
家族を殺され、友だちを殺され、街を破壊されたひとたちの深い悲しみが、アルカイダ国際ビジネスグループの、つきることない実弾なのだ。
中東における民族虐殺の悲しみを、彼らビジネスマンは搾取する。

ブッシュや某小泉やブレアが、9/11テロの被害者の悲しみを、徹底的に利用したように。

ある意味、新しいタイプのビジネスだ。
9/11のテロが起きたとき、テレビでは盛んに、
「西洋と中東の文化の衝突だ」
と喧伝した。
それが本当だったとして、じゃあどうして、

アメリカ政府はサウジアラビアとあんなに仲良しなんですか?

おかしいだろ? サウジアラビアって、中東ど真ん中じゃん。
そもそも、「西洋と中東の文化の衝突」などという理由で、自爆テロを実行する人間なんて、いるか? 死ぬんだぜ? どう考えても、ワリがあわないだろ。なにか、新聞やテレビが隠している別の理由があるはずだ……。
私が新聞やテレビの報道に疑問を持ったのは、この瞬間が最初であった。
で、私なりに調べたわけよ。
9/11の事件が起きたあとも、アメリカ政府は、ラディン一族にとてつもない優遇措置を行なった。……ゴクッ(←生つばを飲む音)。
実は、オサマをはじめとするラディン一族は、サウジアラビアの富豪一族なのだ(うぬぬ?)。
本当のことを言うと、

9/11の自爆テロ実行犯の大多数が、サウジアラビア人であった。

…………ゴクゴクゴクリ(←さらに生つばを飲む音)

で、どうなったかというと、まず、

1.アフガニスタンが爆撃された。

(え? サウジアラビアは?)

2.次に、イラクに侵攻した。

(え? サウジアラビアは?)

3.イラク兵の捕虜を虐待したり、民間人を生きたまま戦車で踏みつぶしたり、モノを盗んだり、その他ありとあらゆることをした。

(わしらイコール世界最大のテログループ。とほほ)

4.イラクの石油漁り。

(オサマはもういいんだ。大量破壊兵器も、もういいんだ)

5.ロンドンで大規模テロ事件。

(……………くそったれ)

こうやってふりかえると、何かが、ものすごく、おかしい。
とてつもなく、おかしい。

ここまで書いたついでに、ワタクシメが、未来についても予言してみよう。
次のテロの標的は日本ですよ。
標的になっているのはわかっているのだが、自爆で来られたら、まず防ぎようがない。
しかも自衛隊は、テロに屈することなく、イラクであんなことやこんなことをやり続けるのでありましょう。だから、本当に防げない。
で、日本のどこかでとうとうテロ事件が起きる。多くの人が犠牲になって、その犠牲を利用して、

テログループは、またまた、がっぽり金もうけ。

いっぽう、多くのひとたちの悲しみ、怒り、恐怖、不安、憤りを利用した政府の連中が、事件を利用して

みごとに日本を右傾化。

ここまで、既定路線なんですよ。
憲法九条ではテロには対抗できない、とか、市民の権利と自由が肥大化しすぎたために治安が守れなくなった、とか、血を流す国際貢献だ、などなど、連中の言い草もわかってんだよ。
どこまでいっても、私たちは利用される運命なんだ。
テログループに利用され、そのあとは土着的民族主義者や、金持ち連中に利用される。

がまんしろ、堪えろ、でないとテロが来るぞ!

なまはげかよ。
(´▽`;)
♪サラリーマン増税にも堪えましょうね。
♪老人福祉の切り捨ても堪えましょうね。
♪教育費の切り捨て、仕方ないよね。
♪国民の権利の制限もテロに比べりゃマシ。
♪世界を平和にするためには、戦争も……。
♪なんとかえモンとか、鐘が鳴るよゴーンとか、お金持ちはさらにお金持ち。ステキー!!

イラクの石油の利権にむらがっている大企業は、かわいそうに、忙しくて寝る暇もないんだと!
私たち庶民は、テロに対抗するために我慢をしなくちゃね。我慢を。
しかしな、実際のところテロをなくすのは、2つのことを実行しただけで、実現するんだよ。
よく聞けよ。
本当に本当の話なんだからな。
ひとつ。
「わしらがイラクなどで実行中のテロを即刻やめること!」
敵側がテロすると犯罪だけど、わしらがテロするのは民主主義の実現……などという言い草は、通用しないんだよ。

誰がやっても、テロはテロなんだ!

これ以上、説明いらないよね?
テロを撲滅するという言葉の意味を、よお〜〜〜く考えろ、ということだ。
次。
ふたつ。
「アルカイダを包囲しろ」
どうでもいい、なんて言ってちゃあ、そりゃ捕まらないわな。
(^_^;)
あのな。

テロで儲けようという考えを即刻捨て去れ!

テログループはもちろん、あの国とあの国とあの国の首脳もな!
言ってもダメだろうな。
あいつら、金もうけしか考えてやがらねえもんね。
そして、これこそが資本主義の本質なんだもん。もちろん法的には違法だし、人間としては、最悪だけど。でも、資本主義の文脈においては、彼らを責められないのな。
「いやなら参加するな、見るな、買うな。我々は我々の自由を行使しているのに、気に入らないからといって、どうして首を突っ込むんだ」……というわけ。
結局、資本主義システムにおける自由の保証とは、消費する自由、他者を利用する権利、でしかない。
……人間って、つくづくビョーキだと、書いててあらためて思うよ。
資本主義システムと市場原理で運営されている社会では、

テロリズムは最高のビジネスチャンスなんだ!

 ( ̄ロ ̄lll)
しかも、

テロを行う側と、攻撃される側の両者において!

狂ってる……。
苦しむのは、いつも、無関係の市民だ。
みんな、もちっと、かしこくなろうや。
殺されるのは、私らなんだぜ?
テレビや新聞のひとつひとつの言い草にいちいち反応してもダメなんだよ。
例えば、選挙前と選挙後でも、すでにぜんぜん違うこと言ってるだろ? ほんと、あきれるよ。
連中は、ひとびとが混乱し、新聞や雑誌が売れて、テレビの視聴率が上がればそれでオーケーなんだ。
言い草ではなく、その言葉の向こうにある、連中の目的を考えなくちゃ。
「無尽蔵の金もうけ」「中産階級の実質的な奴隷化」
これが彼らの目的である。
連中の行動をつぶさに見ていると、郵政民営化から、市民の権利の制限まで、色んなことをやっているように思えて、実はその目的はどれも同じなのな。
大衆の不安、恐怖、怒りの感情は、彼らの目的達成のために、最大限に利用される。
さあ、

次は何を買わされ、何を信じさせられるのだろう。

……。
ここで最後の予言。
資本主義の「他者を利用する自由」「世界のありとあらゆるものを消費する自由」という概念がもたらす悲劇を、「市民の権利」「国民の権利」とすり替えて連中は演説をぶつね。
それを新聞やテレビが、毎日お茶の間にお届けします。
市民の権利を制限することで、日本民族の誇り、道徳観が清らかに蘇る。テロも撲滅できる(←どうやって?)。しつけの行き届いた子どもたちは品行方正。とかなんとか。
具体的には、治安維持法とか、少年法の改正とかだな。
民族主義と国民管理と恐怖政治でテロ撲滅だい。
ワーオ!

くそったれども。
テロの犠牲者を食い物にしている、あいつらは人間と呼ぶに値しない生き物だ。

(絵本工房)溝江純日記より
23:06:20 - mizoereiko - No comments TrackBacks

2005-07-06

井上ひさし氏作、『闇に咲く花』

*井上ひさし氏作、『闇に咲く花』という劇を観ました*(2005.6.20)

劇団大阪第58回本講演の演劇を谷町劇場で鑑賞した。
井上ひさし氏作の
『闇に咲く花 愛敬稲荷神社物語』
だ。
演出は熊本一先生(玲子がいつもお世話になっております)。
観賞後、近所の喫茶店に入ってお茶を飲みながら、つい先ほど観終わった劇の感想を弟と語りあったのだが、さてここで、物語の内容をネタばれせずに書くのは非常に難しい。
物語の外枠の部分だけを取りだしてそれを説明すると、まず、時は1947年、舞台は神田の愛敬稲荷境内だ。神主・牛木公麿は、5人の戦争未亡人とお面を作ったり、闇米の買い出しをしたりしながらなんとかその日その日を暮らしている。
公麿の一人息子・健太郎は南方戦線で死亡したことになっていた。健太郎は将来有望な職業野球団の投手だった。彼の中等野球時代の親友が復員してくる。公麿は亡き息子の親友をあたたかく迎える。
ある日、未亡人たちがひいたおみくじがすべて大吉で、しかもおみくじを引くやいなや、幸運がぴたりぴたりと当事者を襲う(←?)異常な事態が起きる。おみくじの販売元である公麿も大吉を引当てる。そしてその直後、戦死したはずの息子、健太郎が帰って来る。喜びにわく父親公麿と未亡人たち。しかし、健太郎の身にC級戦犯の疑いがかけられて……。
と、このあたりが、物語の外枠だ。
このことをふまえて、まず感じたことは、作家・井上ひさしの、

ベテラン作家としての高い技量だ。

終戦直後の1947年、空襲で焼け残った愛敬稲荷境内という限定的な空間のなかで、神主、戦争未亡人5人衆、新任の巡査、復員してきた健太郎の親友、謎の男(実はGHQの係官)、といった主要人物たちを、手際よく紹介していく手口と、なによりも、情報の出し入れのさじ加減のうまさには、舌を巻いた。

演劇を観賞している者に対する情報量をところどころ意識的にしぼってある

のだ。
そうすることによって、伏線が伏線として正しく機能するし、さまざまな事柄がシンボリックに機能し始める。例えば、野球のボール、記憶喪失、神社庁加盟の各神社が8月15日にいっせいに打ち鳴らしたという「平和の太鼓」。あえてすべてを教えないことで、これらのキーワードに二重三重の意味を持たせ、説明されきっていないがゆえにずしりと重い、というような効果を見事に作り出していた。
ラスト間際に、神田明神や靖国神社の方角から、定刻2分前に平和の太鼓の音が聞こえてきたとき、登場人物たちの表情がいっせいにかげることの、具体的な説明もいっさいないままだ。
ただ、

「靖国神社も気がはええなあ」

という、ある登場人物のひとりごとともつかぬ台詞の本当の意味に、鑑賞者が自ら気がついたとき、「平和の太鼓」の向こう側にある、ひとびとを戦争に駆り立てることに一役買っていた戦争当時の神社庁のありかたの、その本質的構造に我々はたどり着くのである。
「平和の太鼓」を打ち鳴らす、という一見なんの文句もつけようもないかに見える行事にすっぽりと隠れているがゆえに、作り手が指し示したヒントをもとに我々自身が咀嚼し、能動的なやり方で答えにたどり着く必要がある、と、井上ひさし氏は考えたのだ。
こういった作り手のあの手この手の仕掛けは、観ていてじつに手慣れていて、

「これくらいのことはいつでもできますよ」

という井上ひさし氏の声が聞こえてきそうだ。
この物語には、ギター弾きの復員兵が出てくる。物語のメインストーリーにはからまない。台詞もいっさいない。神社の隅っこで、BGMのギターをかき鳴らしている。なんらかの願掛けに来ているらしい、ということは登場人物のせりふから説明があるが、それはそれきりで終わる。BGMを生ギターで聴かせる一種の趣向のようにも感じられる。
彼の正体は、ラスト間際で明らかにされる。
私がもっとも感銘を受けたのは、実は、メインストーリーから離れたところにぽつんと座っていた彼の正体が明らかになった瞬間であった。サブストーリーとも呼べぬほどの小さなエピソードのなかに、こつんとした小石のようなしこりを鑑賞者への宿題として残す、じつにプロフェッショナルなテーマ展開である。
無口なギター弾きの正体はなんだったか。彼は何をしに神社に現れて、なんのために毎日毎日ギターをかき鳴らすのか。
答えは書かないでおこう。
登場人物のひとりが、別のひとりに訊ねる。
「彼はいったいこの神社で何曲目を弾いているんでしょうね」
その答えはこうだ。
「九千九百九十九曲弾くということは、ずっと弾き続けるということじゃないんですかね」
つまり、井上ひさし氏が我々につきつけた宿題もまた、どこまで行っても終わることがないのだ。
この宿題は私たちが生きているかぎり続くんだよ、

答えのない問いかけを、自らに問い続けるのがこの宿題なのだよ

というご丁寧な念押しを九千九百九十九曲のギター曲に象徴させて、真のプロの技量というものをまざまざと見せつけられた気がした。

(「絵本工房」HPの日記より・溝江純)
18:08:35 - mizoereiko - No comments TrackBacks